・No.12「ラバ遣いが観た宇宙」10/19/04
ロサンゼルスの郊外、ウィルソン山にある天体観測ドームには、1909年の開設当時には世界一の性能を誇った反射望遠鏡が納められています。さらに1917年に建設された口径257cmのフッカー反射望遠鏡は、その圧倒的な性能を発揮し、アンドロメダ星雲までの距離の測定に使われました。このとき初めて、この明るい星雲は私たちの銀河の外、遙か彼方に位置していることが明らかになったのです。
この望遠鏡によるもう一つの大きな業績は、宇宙は今でも膨張し続けていることを明らかにしたことでした。そしてそれを発見したのは、ウィルソン天文台の建設当時、ラバ遣いとして建設資材を山の上に運んだある青年だったのです。
ウィルソン天文台は、山の上につくられた世界で最初の大型観測ドームでした。街の灯りが届かず、空気の澄んだ場所に天文台を建設するためには、険しい山の上に多くの資材を運び上げなければなりません。整備された道路も、大型トレーラーもなかった当時、望遠鏡の精密機械、大きく重量のある光学機器、そして天文学者たちを運んだのは、足の強いラバでした。
ラバの隊列を先導したのは、ミルトン・L・フマーソン(Milton
Lasell Humason)。ミネソタ州に生まれた彼は、高校進学を自ら放棄するとカリフォルニアにやってきてラバ遣いになりました。いつもかみタバコをかみながらラバを引き連れていたミルトンは、とても頭が良く、好奇心の旺盛な若者でした。ギャンブラーとしての腕もよく、ビリヤードの名手で、かなりのプレイボーイだった彼は、それでもラバ遣い以上のものになろうとは考えませんでした。
しかし根っからのめずらしもの好きのミルトンは、自分が山の上に運び上げたモノがいったいなんなのか知りたくて、いつも技術者を質問責めにしていました。やがてその技術者の娘と仲良くなった彼は、そのまま天文台で働くことを決意します。天文台の雑巾がけやガードマンとして働いていましたが、器用なミルトンは望遠鏡の操作も覚え、いつしか技術者の手伝いもするようになっていました。
ある夜、技術者が病気になり、観測を変わってくれないか?とミルトンに頼みました。ミルトンは器用に望遠鏡を操り、見事な仕事をしたのです。これをきっかけに、彼は天体望遠鏡捜査員兼観測助手に就任したのです。
そんなある日、ウィルソン天文台にエドウィン・P・ハッブル(Edwin
Powell Hubble)がやってきました。現在、彼の名前はNASAの宇宙望遠鏡の名称にもなっているのでご存じでしょう。ハッブルは、シカゴ大学を卒業後イギリスに渡り、オックスフォード大学に留学、アメリカに戻ってからは弁護士として働いていたこともあるエリート。ミルトンとはまったく違う経歴の持ち主でしたが、天体望遠鏡の前で、ふたりは最高のコンビでした。
ミルトンは遠く離れた銀河のスペクトル写真を撮り続けました。光を虹色に分解して写真に焼き付けるスペクトル写真から、光を発している光源、つまり銀河が地球から観てどの方向に移動しているのかがわかります。ハッブルはミルトンの撮影した写真をもとに、すべての銀河が地球から遠ざかっていることを発見します。しかも遠い銀河ほど、速い速度で遠ざかっているのです。この発見は「ハッブルの法則」と呼ばれ、ビッグバンの発見に繋がります。
ミルトンの撮るスペクトル写真は世界最高水準でした。彼の腕の良さはすぐに世界中に認められ、ウィルソン天文台の正規職員となります。物理学を学び、多くの価値ある観測を行い、それらが認められ、1950年、スウェーデンのルンド大学から名誉博士号を受けます。その後、ウィルソン天文台をはじめ、パロマー天文台の天文学者に就任、世界の天文学者たちから尊敬されるようになりました。中卒のラバ遣いの青年は、世界的天文学者となったのです。
「JPL」
木星や土星、遠くは冥王星を目指して飛んだボイジャー。火星に初めて着陸し、その地表の写真を送ってきたバイキング。これら無人惑星探査機は、アメリカの航空宇宙局(NASA)により打ち上げられ、その後の飛行から惑星への再接近もしくは着陸、観測などのコントロールは、すべてパサデナにあるジェット推進研究所(Jet
Propulsion Laboratry:JPL)で行われています。最近では、火星探査機オポチュニティやガリレオ木星探査機、カッシーニ土星探査機などのニュースで、JPLの名前を聞いた方もいらっしゃるでしょう。
1977年、太陽系の惑星を訪ねつつ遠く恒星間宇宙への旅に出たボイジャーには、多くの観測機器と一緒に、人類の姿を描いたレコード盤が積まれていました。このレコードには、さまざまな言語によるあいさつの言葉と、地球を代表する音楽がいくつか記録されています。もちろん、地球の位置を示した地図と、レコードの再生方法についても、記号を使って説明されています。
このレコードを積んだ目的はなんだったのでしょう?ボイジャーが太陽系を離れた後、他の惑星系を訪れる確率はほとんどゼロです。おそらくなにもない恒星間宇宙を漂い、数億年かけて銀河系を一周するだけです。途中、隕石に衝突して分解してしまうかもしれません。
それでも、高度な科学文明をもった異星人が、宇宙を漂う人工物を見つけて拾い上げるかもしれない。そんなとき、挨拶の一つもしておきたい。そんな願いから、わずかな積載重量が設計に大きく影響するにも関わらず、このレコードを積み込むことになりました。提案したのは、当時の惑星探査チームのリーダーのひとり、コーネル大学のカール・セーガン博士でした。
ボイジャーは数年前に冥王星の軌道を通過。そしてつい先日「まだ生きてるよ」と地球に向けて信号を送ってきました。
★ Websites
「Jet Propulsion Laboratry」
カリフォルニア工科大学にあるジェット推進研究所(JPL)のサイト。惑星探査の歴史や、探査機から送られてきた写真も見られます。JPLは定期的に一般公開していますが、すべて予約制。予約は電話でしか受け付けておらず、しかも半年以上前からの予約が必要です。入場には、パスポートの提示を求められます。
★ Books
「惑星へ 」(上・下)
カール・セーガン (著) 森 暁雄 (翻訳)
惑星探査機ボイジャーとガリレオ。その観測結果をもとにカール・セーガン博士が太陽系の惑星を紹介します。科学に疎い方にも読みやすく、楽しめます。上下巻あります。 |
バックナンバー
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「どうしてこんなにアメリカが好きなのだろう?」
・No.01「THE KING」 8/3/04
・No.02「Chasers 追跡者たち」8/10/04
・No.03「オズ」8/17/04
・No.04「ウォーレン・バフェット」8/24/04
・No.05「Manifesto Destiny」8/31/04
・No.06「UP and DOWN」9/7/04
・No.07「一攫千金」9/14/04
・No.08「THE DRIVE」9/21/04
・No.09「スタインベック」9/28/04
・No.10「バーバンクの魔術師」10/5/04
・No.11「フラミンゴ」10/12/04
・No.12「ラバ遣いが観た宇宙」10/19/04
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