US万次郎:「フライヤー」


   

 メルマガ「アメリカ生活アドバイザーの随想」(7/27/04-7/26/05)を再編集したものです。

・No.26「フライヤー」1/25/05

 気象台に問い合わせたところ、グライダーを飛ばすのに最適な風が欲しいならノースキャロライナのキティホークが良いということだったので、オハイオ州デイトンに住むウィルバー・ライト(Wilbur Wright)はさっそく出かけてゆきました。1900年9月6日のことです。まずは汽車で一晩かけて大西洋岸の街、オールドポイントへ。そこから船でノーフォークに渡ると、キティホークまで乗せてくれる漁船を探すのに4日かかりました。グライダーは出発前に分解して先に貨物で送りましたが、翼の骨になる木材は長すぎて送れなかったため、途中、ノーフォークで調達しました。

 キティホークでは、気象台に問い合わせたときに紹介してもらった、地元の郵便局の局長ビル・テイトが出迎えてくれました。ビルの家に1泊した後、ウィルバーはグライダーの実験に適した砂地にテントを張り、食料や水を運び込むと、さっそく機体の組み立てにとりかかりました。

 やがて弟のオービル・ライト(Orville Wright)がやって来ると、ふたりは協力して生活環境を整えグライダーの実験に取りかかりました。彼らのグライダーは翼の両端をロープで繋ぎ、凧のように地上からコントロールすることができました。このグライダーを使って、兄弟は揚力と風の抵抗力を測定したのです。

 測定の結果は、彼らが計算して求めた予測値とは異なるものでした。「揚力が思ったほど得られない。人を乗せて飛ばすには、予想よりも強い風が必要だ」。ドイツのグライダー研究家、オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal)のデータをもとに求めた予測値を彼らは信頼していました。そして「きっとリリエンタールの飛行機よりも、翼の反りが小さいのだろう」という結論を出したのです。

 ウィルバーとオービルのライト兄弟は5人兄弟の3番目と4番目でした。子供の頃から機械いじりが好きで、ふたりで印刷機を作って新聞を発行したり、オリジナルの自転車を開発して、自転車屋を経営したりしていました。ある時オービルが大きな病気で寝込んだとき、ウィルバーがプレゼントした「空とぶ実験」という本がきっかけで、ふたりは空を飛ぶことに興味を持ち始めます。この本の著者、オットー・リリエンタールは、鳥が羽ばたかずに滑空しているところを観察し、揚力を利用したグライダーの開発を行っていました。しかし1986年、突風に煽られたグライダーが墜落、オットーは帰らぬ人となりました。この事件を機に、ライト兄弟は本格的に飛行機づくりにとりかかります。そして1900年最初のグライダーを完成させると、強風の吹くキティホークにやってきたのです。彼らの最終目標は、エンジン付きの飛行機による有人飛行でした。

 はじめての飛行実験では失敗したライト兄弟でしたが、翌年、今度は翼の反りを大きく改良したグライダーをもって再びキティホークにやってきました。しかし今度は、機種が激しく上下に振れるというトラブルに直面しました。今度のグライダーには、飛行中に機体を制御できるように、角度を変えられる水平安定板が着いていました。「この水平安定板が大きすぎるために、上下に振れるのだろう・・・」。さっそく改良してみますが、結果はかわりません。「いったい原因はなにか・・・?」ライト兄弟がたどり着いた答えは「翼の反りが大きすぎる」でした。

 翼の反りを元に戻すと、上下の振れは水平安定板を操縦することで制御できるようになりました。しかしまたまた違う問題が発生します。今度は左右の振れでした。これを解決するために、ふたりは垂直尾翼を考え出したのです。

 しかし今回もまた、期待した揚力は得られませんでした。翼の反りは原因ではなかったのです。「オットー・リリエンタールのデータが間違っている」。ふたりは尊敬する先駆者の残した数字を捨てる決心をしました。

 デイトンに戻ると、ふたりは画期的な発明をします。今でも航空力学の実験には欠かせない「風洞実験装置」を開発したのです。長細い木箱の両端を開け、その一方から風を送り込みます。その中にさまざまなカタチの小さな翼を入れ、揚力と抗力を計測することができました。この発明があったからこそ、ライト兄弟の飛行機が完成したのだ言っても過言ではないでしょう。

 風洞実験を繰り返した結果、従来のものに比べて細身で長く、空気抵抗は小さく揚力が大きい翼が完成しました。そして1902年、再びキティホークにやってきた兄弟は、強風の中で十分な揚力を得た機体が、バランス良く空中に静止する姿をついに見ることができたのです。垂直尾翼に方向舵がついたそのグライダーは、旋回することもできました。

 さまざまな実験と改良を加えた飛行機の特許を守るために、ライト兄弟の試験飛行はいつも秘密のうちに行われていました。しかし、歴史的瞬間には目撃者が必要です。1903年12月17日の試験飛行には、地元の人たちが5人集まりました。「フライヤー」と名付けられたグライダーには小型エンジンが取り付けられ、離陸予定地点にはカメラが備え付けられました。そしてゆっくりと滑走を始めた「フライヤー」は、ふわりと宙に浮いたのです。

 人類初のエンジン付き有人飛行機の飛行時間は12秒、飛行距離は36.6メートでした。オービルはすぐさま電報を打ち、デイトンにいる父親に成功を知らせました。


「ライバル」

 空を飛ぶことは人類の長年の夢でした。多くの人が挑戦し、失敗してきました。ライト兄弟の成功までの道のりには、さまざまな鳥人間たちの努力があったのです。ジョージ・ケイリーは1700年代に揚力と抗力の概念に基づいて飛行機を作ろうとしていました。オクターブ・シャヌートはグライダー研究の第一人者として、ライト兄弟に何百通もの手紙を書いてアドバイスをしました。スミソニアン研究所の理事を務めていたサミュエル・ラングレーは、模型飛行機の成功をきっかけに政府から多額の研究開発費を受けました。しかしライト兄弟が初飛行に成功した数日前に飛行実験に失敗。その後すぐに引退してしまいますが、彼の研究成果をたたえてスミソニアン協会は「ラングレー・メダル」賞を設立、後にグレン・カーチスやチャールス・リンドバーグが受賞しています。

 アレキサンダー・ベルは電話の発明で知られていますが、グライダーの実験も行っていました。彼は、ライト兄弟の成功後も様々な飛行機を開発しました。グレン・カーチスはライト兄弟の最大のライバル。自転車屋を経営していたグレンは、自転車にモーターをつけたバイクの発明で名を挙げると、アレキサンダー・ベルと共に飛行機の開発にあたりました。1908年には1000メートル以上の飛行に成功、その後、ライト兄弟とは特許問題で争いながらも、アメリカトップクラスの航空機メーカーを作り上げました。

 ところでライト兄弟が活躍していたちょうどその頃、日本でも二宮忠八が飛行機の開発を夢見ていました。ゴムを動力とするプロペラ模型飛行機は、1891年に30メートルの飛行に成功しています。

 日清戦争のため野戦病院に来ていた忠八は、有人飛行機開発の案を軍の上層部へ提出しますが、まともにとりあってもらえません。そしてライト兄弟の初飛行の新聞記事を見ると、そのまま飛行機開発を止めてしまいました。しかし後になって忠八の飛行機開発案は評価され、さまざまな表彰を受けたのでした。


★ Website

Wright Brothers Aeroplane Company and Museum of Pioneer Aviation

 ライト兄弟のことならここになんでも書いてあります。「英語はイヤ!」という人も大丈夫、イラストや写真もたくさんあります。「フライヤー」は初飛行から10年もすると、現在の飛行機の基本型にまで進化しているのがわかります。

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 「
どうしてこんなにアメリカが好きなのだろう?

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筆者プロフィール  |  Contact:manjiro@usmanjiro.com
  

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