・No.36「Buried
Alive In The Blues」4/5/05
ジャニスは内気でのろまな女の子だった。どんな誘いにも「ノー」とは言わなかったし、友達が悪ふざけでつくったどんな作り話も信じた。彼女がはじめて自分の意見を言ったのは、人種差別を廃止することについてどう思うかと聞かれたときだった。「それはいいことだと思う」と答えたのだ。彼女が生まれ育ったテキサスの田舎町では、誰もそんな答えは口にしなかった時代だ。
ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)は1943年1月19日、テキサス州ポート・アーサー(Port
Arthur, TX)という石油精製工場だけが建ち並ぶ、退屈で保守的な町に生まれました。父親は物静かな男で、石油精製所の監督でした。母親は几帳面な性格で、ビジネスセンスの良い女性だったそうです。そんな中流家庭に育ったジャニスは確かにのろまではあったけれど、頭は良く、絵を描いたり物語の創作が大好きで、両親は「彼女はいつか作家か画家になるだろう」と考えていました。
子供の頃から太り気味だったジャニスは、十代になる頃には動くのもやっとなほどの肥満になり、ニキビだらけの大きな顔のためか、大学時代には男連中がこっそり企画したコンテストで、「キャンパスで最も醜い女」という不名誉を得ることになったのです。
そんな辛い時代に彼女が頼ったものは酒とドラッグとセックスでした。安酒場に入り浸って酒に酔い、道ばたでブルースを歌っては小銭を稼いでいました。やがて出口の見えないテキサスでの生活に嫌気がさすと、どこへともなく放浪の旅に出かけました。昔から好きだったジャック・ケルアックをはじめとするビート・ジェネレーションに影響を受け、ニューヨークやロサンゼルスを転々としながら画家になろうと考えていたのです。
しかし絵描きとしての才能に恵まれないまま、サンフランシスコでビートニクの仲間と覚醒剤におぼれていたジャニスでしたが、このままではいけないと故郷のテキサスに戻り薬物中毒の治療を受けることにします。そして海を見ながら「これからどうやって生きていこうか」と考えていたある雨の午後、「おまえはシンガーなのだ」という「声」がジャニスの元に降りてきたのです。
その頃サンフランシスコでは、ジャズやフォークソングにかわりロックが流行り始めていました。当時の音楽業界の大物でテキサス出身のチェット・ヘルムズは、自分が面倒をみていたバンド「ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー」が女性のヴォーカリストを探していると聞くと、すぐにテキサスで見た、かすれ声のぽっちゃりした女の子のことを思い出しました。その後のことについては、ジャニスがこう語っています。
突然「荷物をまとめて来い、カリフォルニアへ行くぞ」って言われたんだ。ニュー・メキシコあたりまで来たときに、バンドで歌わされるって気づいた。チェットは良いヤツだと思っていたけど、騙されたってわけ。初めてバンドと会ったのがいつか覚えてないけど、エレキギターの大音響をバックに歌ったのはそれが初めてだったから、すごくドキドキしたよ。とても興奮して、観客はみんな踊っていて、私はステージの上で歌い続けていた。それが気に入ったから、仲間になるよって言ったんだ」。1966年6月のことでした。
翌年リリースしたファースト・アルバムは全米60位までしか売れませんでしたが、圧倒的なジャニスの歌声はすぐに話題になりました。そして67年6月に出演したモンタレー・ポップ・フェスティバルで「ジャニスの伝説」は始まったのです。その後すぐにメイジャー・レーベルと契約、ニューヨークで録音したライブアルバム「チープ・スリル」は8週連続全米1位を記録します。
しかし歌唱力に対してバンドのレベルが低すぎると不評だったことからジャニスはソロの道を選びます。そして一流ミュージシャンを集めてなんどもバックバンドを組み直していきました。69年にはアルバム「コズミック・ブルースを歌う」が全米5位のヒットとなりましたが、どうしても納得のいくバンドを作ることはできません。批評家たちはやがて、バンドだけではなくジャニスの歌にも悪評を出すようになりました。「歌を歌うというよりも聴衆の目の前で歌を窒息死させている」と。
どんなにヒットを飛ばしても自信がなかった。ステージがうまくいかないと落ち込み、酒を飲み、ヘロインをやった。やがてバンドを解散すると、ビートニク仲間の男とブラジルに姿を消したのです。
しかしジャニスは最高のバンド「フル・ティルト・ブギー」と共に戻ってきました。70年6月、ケンタッキー州でのライブはファンにも評論家にも絶賛でした。8月には6歳年下のフィアンセも見つかり、やっとつかんだ幸せの中、新作のレコーディングに入ったのは9月のことです。
10月4日、ニューアルバム「パール」のための最後の歌録りの予定日、ロサンゼルスのモーテルの部屋でひとり死んでいるジャニスを発見したのはマネージャーでした。翌年リリースされたアルバム「パール」は9週連続全米1位を記録。5曲目の「Buried
Alive In The Blues」(生きながらブルースに葬られ)は歌の入っていないままこのアルバムに納められています。
「3つのJ」
ジャニスの死因は今でも謎のままです。モーテルのベットに横たわっていた彼女、手にはおそらくタバコを買ったときの釣り銭が握られ、すぐ横には封を切っていないマルボロの箱が転がっていました。
彼女はやっと掴んだ幸せの中にいたにも関わらず、「このままうまくいくはずがない、いつもどこかがおかしくなる」「結婚するより、このまま死んでしまったほうが良いのかもしれない」などと考えていました。コンサートでミスると酷く落ち込み、ヘロインから抜け出すことはできなかったようです。そして結婚の同意書をなんども書き直し、遺書も書いていました。
ジャニスの親友でカントリー歌手のカントリー・ジョー・マクドナルドは、ある雑誌のインタビューでこう語っています。
「彼女の人生は終わりかけてたんだ。夢が実現してきていたからね」。
ところで1970年には「天才」と呼ばれたミュージシャンが3人亡くなっています。7月3日にDoorsのジム・モリソンが、そして9月18日にはジミ・へンドリックスがヘロイン中毒が原因で死亡しました。その数週間後、めったにないほど純度の高いヘロインを手に入れてホテルの部屋に戻ったジャニスは、翌朝の10月4日、ひとりこの世を去りました。3人とも名前のイニシャルが「J」。そしてみんな27歳でした。
★ CD
「Pearl」 ジャニスの最後のアルバムです。 |
バックナンバー
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「どうしてこんなにアメリカが好きなのだろう?」
・No.01「THE KING」 8/3/04
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・No.04「ウォーレン・バフェット」8/24/04
・No.05「Manifesto Destiny」8/31/04
・No.06「UP and DOWN」9/7/04
・No.07「一攫千金」9/14/04
・No.08「THE DRIVE」9/21/04
・No.09「スタインベック」9/28/04
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