US万次郎:「America's Cup」


   

 メルマガ「アメリカ生活アドバイザーの随想」(7/27/04-7/26/05)を再編集したものです。

・No.37「America's Cup」4/12/05

 全ての始まりは1851年5月、ロイヤル・ヨット・スコードロン(Royal Yacht Squadron)主催によるイギリスのワイト島一周帆船レースでした。サウサンプトンの海で行われたこのレースには14艇の帆船の他、アメリカから招待された1艇も参加しました。1844年にできたばかりのニューヨーク・ヨットクラブ(New York Yacht Club)が建造した全長30メートルのレース用ヨットは「アメリカ号」と名付けられ、従来の艇に比べて極端に船首が細く、2本のマストを持っていました。帆船の建造と操船技術には自信満々のイギリスはもちろん、植民地上がりの国からきた舟など、まともに相手になるわけがないと信じていたことでしょう。しかしレースが終わってみれば、「アメリカ号」が2位以下を大きく引き離しての優勝、イギリス女王から銀製の水差しが優勝カップとして贈られました。

 どこにでもありそうな、なんの変哲もないこの優勝カップは、「アメリカ号」により持ち帰られたことから「アメリカスカップ」と名付けられ、ニューヨーク・ヨットクラブに寄贈されました。そしてこの「アメリカスカップ」を賭けて国際的なヨットレースを開催しようと思い立ったヨットクラブのメンバーたちは、「カップの保持者は、いかなる国の挑戦も受けねばならない」という贈与証書(Deed of Gift)を作ると、1870年に第1回「アメリカスカップ」を開催したのです。

 艇の開発・建造に巨額の資金を必要とするヨットレースには、世界の鉄道王やメディア王と呼ばれる人々が資金を出してアメリカに挑み続けました。スコットランド生まれで紅茶で知られるトーマス・リプトン卿は1899年からの30年間、5回に渡って「アメリカスカップ」に挑戦しました。最後の挑戦となった1930年の大会時には、すでに80歳を越えていたそうです。しかしながら圧倒的なアメリカ艇の強さにリプトン卿は最後まで「アメリカスカップ」を手にすることはできませんでした。

 惨敗続きのリプトン卿でしたが、そんな彼の果敢な挑戦を称え、ニューヨーク市民の有志が1人1ドルづつ出し合ってティファニーのカップをリプトン卿にプレゼントしたそうです。後にこのカップを記念して「リプトン・カップ・レース」が創設されました。

 その後もアメリカは防衛戦に勝ち続け、132年間「アメリカスカップ」は1度もニューヨーク・ヨットクラブから外に出ることはありませんでした。

 近年の「アメリカスカップ」には予選があります。挑戦艇はまず「ルイヴィトンカップ」と呼ばれる予選を勝ち抜かなければなりません。防衛艇も国内予選を行います。そして両予選の勝者が決勝となる「アメリカスカップ」を競うのです。

 1983年、「ルイヴィトンカップ」の勝者はオーストラリアのロイヤル・パース・ヨットクラブでした。そして3対3のまま迎えた決勝の第7レース、最終レグでみごとアメリカ艇を抜き去ったのです。

 実はこのとき、まさか「アメリカスカップ」が奪われることはないだろうと確信していたアメリカは、ニューヨーク・ヨットクラブのカップ室にある台座にカップをボルトで固定していたそうです。もちろんオーストラリア側は「今すぐカップを外してここに持ってくるように!」と注文を付けました。優勝の興奮は大変なものでした。オーストラリア首相はこの日を国民の休日にしたほどです。

 130年以上カップを守り続けたアメリカも黙ってはいません。レーガン大統領はホワイトハウスにオーストラリア・チームを招待すると「カップをあまり堅くボルトで固定しないように。アメリカはすぐに取り戻すからね」と奪回宣言をしたそうです。

 アメリカは次の大会でカップの奪回に成功しますが、95年にはニュージーランドが優勝しました。そして現在はスイス・チームが「アメリカスカップ」を手にしています。


「ニッポンチャレンジ」

 「アメリカスカップ」には日本も参戦したことがあります。初参加は92年、SB食品のチーム「ニッポンチャレンジ」でした。結果は「ルイヴィトンカップ」の準決勝進出、そこで4位でした。準決勝に進めるのは4艇だけなのですが、初参加のチームとしては健闘したと言えるでしょう。強豪のニュージーランドやイタリア艇と比べても、互角のスピードが出ていました。

 次の95年の大会にも出場しています。豊富な資金と前回の健闘から期待されていましたが、いきなりつまずきます。優勝候補のオーストラリア艇に比べ、設計の段階であきらかな差があったのです。急いでオーストラリア艇に似せたボディに改造して予選に臨みました。2000年には強風用の「阿修羅」、微風用の「韋駄天」と艇に名前をつけての挑戦でしたが、3大会連続で準決勝4位に終わっています。

 続く2003年の大会に「ニッポンチャレンジ」は参加しませんでした。それでも日本人選手2人がアメリカ艇に乗船、「阿修羅」「韋駄天」の設計チームも「イギリス・チャレンジ」に参加しました。


★ Website

32nd America's Cup Official Website

 次回「アメリカスカップ」のオフィシャル・サイト。2007年にスペインのバレンシアで開催されます。

バックナンバー

・創刊号 7/27/04
 「
どうしてこんなにアメリカが好きなのだろう?

・No.01「THE KING」 8/3/04

・No.02「Chasers 追跡者たち」8/10/04

・No.03「オズ」8/17/04

・No.04「ウォーレン・バフェット」8/24/04

・No.05「Manifesto Destiny」8/31/04

・No.06「UP and DOWN」9/7/04

・No.07「一攫千金」9/14/04

・No.08「THE DRIVE」9/21/04

・No.09「スタインベック」9/28/04

・No.10「バーバンクの魔術師」10/5/04

・No.11「フラミンゴ」10/12/04

・No.12「ラバ遣いが観た宇宙」10/19/04

・No.13「Mickey D's」10/26/04

・No.14「世界の始まり」11/2/04

・No.15「リーディング」11/9/04

・No.16「MEN IN BLACK」11/16/04

・No.17「大統領への手紙」11/23/04

・No.18「」11/30/04

・No.19「ボニーとクライド」12/7/04

・No.20「アポロ計画」12/14/04

・No.21「Remember the Alamo!」12/21/04

・No.22「What a Wonderful World」12/28/04

・No.23「KO」1/4/05

・No.24「Masters」1/11/05

・No.25「MTV cops」1/18/05

・No.26「フライヤー」1/25/05

・No.27「Sexual Elegance」2/1/05

・No.28「TRUMP」2/8/05

・No.29「WTC」2/15/05

・No.30「AMEX」2/22/05

・No.31「灯りが灯るまで」3/1/05

・No.32「Blues Bros.」3/8/05

・No.33「Indy 500」3/15/05

・No.34「ハーランドの受難」3/22/05

・No.35「The Music City」3/29/05

・No.36「Buried Alive In The Blues」4/5/05

・No.37「America's Cup」4/12/05

・No.38「背番号42」4/19/05

・No.39「白人マイノリティー」4/26/05

・No.40「イエロージャーナリズム」5/3/05

・No.41「ディマジオの恋」5/10/05

・No.42「Peanuts」5/17/05

・No.43「Chocolate Town」5/24/05

・No.44「Enterprise」6/1/05

・No.45「Amblin」6/7/05

・No.46「SETI」6/14/05

・No.47「」6/21/05

・No.48「ARPA」6/28/05

・No.49「The United Taste of America」7/5/05

・No.50「カリフォルニア・ワイン」7/12/05

・No.51「Ellis Island」7/19/05

・No.52「約束の地」7/26/05

筆者プロフィール  |  Contact:manjiro@usmanjiro.com
  

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