・No.45「Amblin」6/7/05
高校生の時に遊びに行ったハリウッドのユニバーサル・スタジオ。映画撮影所を巡るツアーをこっそり抜け出したことから、スティーブの運命は映画の世界へと一気に引き込まれていきました。そこで働く人たちと仲良くなった彼は、毎日のように撮影所に出入りするようになりました。掃除用具がしまってある小屋を勝手に自分のオフィスにしてしまい、映画やテレビの撮影風景を見て回りました。いつしか警備員でさえも、彼が撮影所のスタッフであるものと思いこむようになっていたそうです。そんな中で知り合ったデニス・ホフマンはオープニングタイトルを作成する会社の経営者でしたが、映画製作のための資金を提供してくれることになりました。そしてスティーブは24分の短編「Amblin」を制作、これがベネチアとアトランタの映画祭で入賞したのをきっかけに、テレビ映画の監督として活動を始めることになったのです。
スティーブン・スピルバーグ(Steven Allan
Spielberg)は1947年12月18日、オハイオ州シンシナティーに生まれました。父親はGEで働くエンジニア、母親はコンサートピアニストでした。アリゾナ州スコッツデールで少年時代を過ごした彼は、学校でただひとりのユダヤ人であったことから友達となじめずスポーツが苦手だったため、いつしか一人で家にこもって遊ぶようになりました。
映画に興味を持ったきっかけは父親の8mmカメラでした。おもちゃの機関車が衝突するところを撮影したのをきっかけに、その面白さにどんどんのめり込んでいきました。色々なミニチュア模型や撮影のための小道具を揃え、友達を集めて簡単な西部劇を撮影したのは12歳の時でした。14歳の時に撮った「Escape
to Nowhere」はアマチュア映画賞を受賞、16歳になると500ドルの制作費をかけて2時間半に及ぶSF長編映画「Fire
light」を撮影しました。
17歳の時にちゃっかり潜り込んだ撮影所に毎日通い、現場を見ながら映画製作を学んでいきました。そこでジョン・フォード監督をはじめ、スティーブに資金援助を申し出てくれたデニス・ホフマンに出会ったのです。2万ドルの制作費を得たスティーブは、監督、脚本、編集を一人でこなし、初めての35ミリ映画「Amblin」を完成させました。砂漠で出会ったカップルが、海までヒッチハイクで旅する物語を描いたこの映画がユニバーサル社に認められ、テレビ映画の監督として7年間の契約を結ぶことができたのです。
ハリウッドに近いという理由から通っていた州立大学を中退すると、スティーブはさっそくテレビ映画の制作に取りかかりました。このとき1968年12月。テレビ映画の監督として初めて取り組んだのは「Night
Gallery "Eyes"」(夜のギャラリー)。主演はジョン・クロフォードでした。そして刑事コロンボ・シリーズの「Murder
by the Book」(構想の死角)や「Something Evil」(恐怖の館)などを制作、そこそこの評価を得ることが出来ました。
最初のヒット作は1972年の「Duel」(激突)でした。記録的な視聴率をとったこの作品は、エミー賞も受賞。その後いくつかのシーンを追加して、ヨーロッパなどで劇場公開されました。これがフランス、ドイツ、イタリア、モナコなどの映画祭で評価され、様々な賞を受けたのです。
「Duel」の成功でスティーブはいよいよ劇場映画の制作に取り組むことになりました。デビュー作は「Duel」の続編。興行成績こそいまひとつだったものの、アメリカの評論家から絶賛され、カンヌでは脚本賞を受賞しました。続く「ジョーズ」で、いままで「ゴッドファーザー」がもっていた興行記録を破ると「未知との遭遇」「レイダース」「ポルターガイスト」などヒット作を連発。世界的な映画監督として知られるようになりました。
1982年には自ら映画制作プロダクション会社を設立。会社の名前は、スティーブが初めて資金提供を受けて製作した映画「Amblin」からとって「AMBLIN
Entertainment」と名付けました。「AMBLIN」からの第一作目「E.T.」の中で、エリオット少年が満月をバックに自転車で空を飛ぶシーンは、そのまま会社のトレードマークになっています。
さらに1994年には、ハリウッドでは20世紀フォックス以来と言われる映画製作会社「ドリームワークスSKG」を設立。「プライベート・ライアン」「A.I.」などを制作、そしてこの夏にはH.G.ウェルズ原作の「宇宙戦争」が公開されます。
「ユニバーサル・スタジオ」
最初に映画撮影所を一般の観光客に公開したのは1915年のことです。なにもない荒野に養鶏所を改造して造ったスタジオを開き、そのすぐ横に観客席を設置しました。ユニバーサル・スタジオ・ツアーの始まりです。
当時の入場料は25セント。小さなオープンカーに乗ってスタジオ内を見学、ランチもついていたそうです。映画といえばまだ無声映画の時代。撮影を見学している観客達は、本番中でも大声で笑ったり、歓声を上げることもできました。
その後、映画に音声が入るようになると撮影所の見学ツアーは中止されてしまいます。それから30年後の1964年にツアーが再開されると、観客達はメイクアップや特撮のデモ、西部劇のスタントショーなどを見物することができるようになりました。
そして現在に至るまで、ユニバーサル・スタジオには様々なアトラクションが加わり、ハリウッドの観光名所になっています。
★ Website
「War Of The Worlds」
邦題「宇宙戦争」の劇場用予告が数本見られます。ちなみに日本向けの予告サイトはこちら。
http://www.uchu-sensou.jp/ |
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