US万次郎:「The United Taste of America」


   

 メルマガ「アメリカ生活アドバイザーの随想」(7/27/04-7/26/05)を再編集したものです。

・No.49「The United Taste of America」7/5/05

 「Nathan'sのホットドッグを食べている写真がなければ、ニューヨークでは当選しないだろう?」

 1969年の選挙キャンペーンの途中、ニューヨーク州知事のネルソン・ロックフェラーはそう言ってNathan'sに立ち寄ると、ホットドックをほおばったそうです。独立記念日のバーベキューの定番メニュー、アメリカの象徴とさえ言えるホットドックの歴史は、1867年にまで遡ります。

 チャールズ・フェルトマン(Charles Feltman)はニューヨークのアミューズメント・パーク「コーニー・アイランド」(Coney Island)で、ホテルやビアガーデンのお客に焼きたてのパイを売っていました。「パイの他にサンドウィッチもおいてくれ!」というリクエストもありましたが、店といっても小さな屋台だったので、パンの他にチーズやハム、野菜など数種類の材料を揃えておくスペースはありませんでした。そこでチャールズは、ソーセージをパンでくるんだような簡単なメニューはどうだろうか?と考え、彼の屋台を作ってくれたドノバンに相談したのです。

 ドノバンは、さっそく屋台にロールパンを並べるためのサイドテーブルと、ソーセージを茹でるための木炭のコンロを取り付けてくれました。しかしチャールズの言う、温かいソーセージをパンでくるんだものがはたして美味いのかどうかとても疑心的だったそうです。ところが実際にソーセージ・パンを食べるとすぐに、この奇妙な新しいサンドウィッチの大ファンになりました。

 「フランクフルト・サンドイッチ」と名付けられたこの新メニューは、はじめての夏のシーズンに3684個も売れました。1871年のことです。そして数年後には屋台ではなく、レストランを開店するだけの資金ができていました。しかしすべてがうまくいったわけではありません。フランクフルト・サンドイッチはそのカタチから、胴長のダックスフンドのようにも見え、いつしか「ダックスフンド・ソーセージ」と呼ばれるようになっていたのです。今まで誰も食べたことのない新メニュー、その名前から想像して「ソーセージは犬の肉でできているんじゃないのか?」などという噂がたったこともありました。「いったい何を材料に使っているのかわからない」という理由から、余計な税金をかけられたこともありました。しかし一度このダックスフンド・ソーセージを食べた人たちはすぐにその虜になり、やがて悪い評判は消え、瞬く間にニューヨークの人々のなかに浸透していったのです。

 1880年代には年間20万本ほど売れていたダックスフンド・ソーセージは90年代に入ると37万本、そして1900年代には200万本以上も売れていました。コーニー・アイランドにあるチャールズのレストラン「Feltman's German Beer Garden and the Amusement Resort」は、8000人ものお客さんが入れる、どこまでも果てしなく続く客席をもっていました。そして一日に4万本というホットドックの販売記録をうち立てたのです。

 漫画家テッド・ドーガンは、街の屋台はもちろん、野球場でも売られるようになったダックスフンド・ソーセージを題材にして漫画を描こうとしましたが、どうしてもダックスフンドのスペルがわからず、作品のなかで適当に「ホットドッグ」という名前をつけてしまいました。もともとダックスフンド・ソーセージというのは長すぎて言いづらいということもあったのでしょう。以後、この「ホットドッグ」という呼び名が一般的になったのです。

 ネイサン・ハンドワーカー(Nathan Handwerker)がチャールズの店の「アルバイト募集」の広告を見つけたのは1915年のことでした。ネイサンはマンハッタンにある小さなレストランのマネージャーでしたが、店はあまり流行らず生活のための仕事を探していたのです。そこでさっそくチャールズの店で働くことにしたネイサンは、店でタダで食べられるホットドックだけで生活し、たった1年間で新たな店を借りるだけの資金を作りました。

 さっそく独立してホットドック店をオープンしたネイサンでしたが、ビジネスはあまりうまくいきませんでした。店にはホットドッグの他にもルート・ビールと無料のピクルスをおきましたが、人々は名の通ったチャールズのレストランへと流れていってしまうのでした。

 しかしチャンスは訪れます。1920年代に入ると、コーニー・アイランドへ地下鉄が通ったのです。毎年、ニューヨークから何百万という貧しい人々が、わずかばかりの恵みを求めてコーニー・アイランドへ訪れるようになったのです。そしてネイサンの店は、地下鉄の駅とチャールズの店の間にありました。

 ネイサンは貧しい人たち向けにホットドックの価格を格安の5セントにし、何人かのホームレスを雇うと店のカウンター席に座らせてホットドックを食べさせたのです。しかし人々は店をのぞき込むことはあっても、入ってはきませんでした。ネイサンは作戦を変えることにしました。演劇のコスチューム販売をしている友達のところへ行き、白いジャケットとズボン、そして聴診器を借りてきました。そしてホームレス達を風呂に入れて髭を剃り、医者のコスチュームを着せて店に座らせたのです。今度の作戦は成功しました。

 「医者が食べているのなら、きっと体に良いに違いない!」

 店には瞬く間に行列ができ、警察が交通整理に現れるまでになりました。ネイサンは店を拡張し、1955年には1億ものホットドックを売り上げたのです。


「The Nathan's Famous」

 ネイサンのレストラン「Nathan's」は、コーニー・アイランドで人気の店になりました。常連客にはアル・カポネもいたそうです。そして1955年にはロングアイランド、65年にはヨンカースにそれぞれ2号店、3号店を出しています。さらに4号店をタイムズスクエアに出したとき、「The Nathan's Famous」は株式公開を果たしました。1970年のことです。ホットドックも億単位で売ると大きなビジネスになるのです。

 「Nathan's」には、1916年の創業当初から続いている面白い大会があります。毎年7月4日のアメリカ独立記念日に開催されるホットドックの早食い競争「Nathan's World Hot Dog Champion Ship」です。競技方法はとっても簡単。12分の制限時間内に、より多くのホットドックを食べた人の勝ちです。参加資格は、時間内に最低10個、食べる自信があること。

 毎年5月になると「Hot Dog Circuit」と呼ばれる予選大会が各都市を巡ります。決勝進出者はコーニー・アイランドの「Nathan's」前で独立記念日に行われる「International Hot Dog Eating Contest」に参加できます。毎年、世界各地から大食い自慢の挑戦者が集まり、すっかり国際大会になったこの大会、どういうわけかここ数年、日本人がダントツで優勝を続けています。早食いは、胃袋の大きさというよりは「技」なのかもしれません。


 ★ Websites

The Nathan's Famous」 

 Nathan's のオフィシャルサイト。ホットドッグ早食い競争の情報もあります。

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 ConeyIslandってなんだい? いろんなことやってます。

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