US万次郎:「約束の地」
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 メルマガ「アメリカ生活アドバイザーの随想」(7/27/04-7/26/05)を再編集したものです。

・No.52「約束の地」7/26/05

 ローサ・パークスはバスに乗り込むとすぐに座席につきました。仕事帰りの夕方、買い物をすませた後でとても疲れていたのです。やがてバスが混んでくると座っていた黒人は白人たちに席を譲らなければなりませんでした。それが法律だったからです。運転士の命令に従い、黒人達は重く疲れた腰を上げ、バスの後方へと詰めていきました。ローサも黒人でしたが、なぜかその時は命令に従いませんでした。「どうしてあのとき席を立たなかったのか、自分でもわかりません。ただ、とても疲れていたのです」。彼女は逮捕され、10ドルの罰金を支払うよう命じられました。1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリーでの出来事です。

 5日後、彼女が通っていた教会のキング牧師は、モンゴメリーに住む黒人達に明日の朝からはバスには乗らずに歩くよう呼びかけました。不公平な法に対して非暴力的な乗車ボイコット運動を計画したのです。しかし彼自身、はたしてどれだけの人たちがこの運動に参加してくれるものか、まったく予想もつかなかったそうです。

 マーチン・ルーサー・キング(Martin Luther King,Jr.)は1929年1月15日、バブティスト教会の牧師の子として、ジョージア州アトランタに生まれました。物静かでシャイだったマーチン少年は、15歳でアトランタのモアハウス大学に入学。良き指導者を育てることで知られていたこの大学で、多くの優れた牧師に師事し「黒人のための公民権」を勝ち取る運動に共感しました。そしてヘンリー・ソローの著書「市民の反抗」に影響を受け、「非暴力主義的反抗」という考え方に感銘を受けるようになっていったのです。そして大学を出るとペンシルバニアのクローザー神学校に進みました。そこではマハトマ・ガンジーの著書に出会い、自由を求めることへの情熱を掻きたてられたのでした。

 神学校で最優秀学生に選ばれたマーチンは、黒人では初めて学友会の会長を務め、主席で卒業しました。さらにペンシルバニア大学、ハーバード大学に通い、ポストン大学から博士号を授与されると、アラバマ州モンゴメリーにある小さな教会の牧師になったのです。1954年、マーチン25歳のときでした。

 ローサ・パークスがバスで白人に席を譲らなかった罪で逮捕されたと聞いたとき、マーチンは子供の頃の出来事を思い出したかもしれません。14歳の時、乗っていたバスが混んでくると、ローサと同じように運転士から、白人に席をゆずるように命令されました。スピーチ・コンテストのため遠くにでかけた帰りで黒人の子供達はとても疲れていたのですが、法律に従うほかはありませんでした。

 ローサの事件は、黒人の権利を非暴力をもって主張するチャンスでした。マーチンは教会に黒人達を集めると、明日の朝からはバスに乗らずに歩くように呼びかけました。消極的な抵抗も、長く続ければやがては私たちの権利を認めさせるだけの力があると説いたのです。翌朝、街の歩道は仕事へ向かう黒人達であふれんばかりになりました。彼らはバスに乗ることを拒み、白人達の脅しや嫌がらせに耐えたのです。

 382日間に渡る乗車ボイコット運動は、ついに勝利の時を迎えます。1956年12月、連邦最高裁判所はモンゴメリーの人種差別規則は違法であるとし、同規則は廃止されたのです。この事件をきっかけに、マーチンは非暴力的な黒人指導者としてアメリカ中から認められるようになりました。自由のための運動が本格的にはじまったのです。

 マーチンは黒人の勝利を望みませんでした。同じアメリカ人であり兄弟である白人と、平等に暮らすことを望んでいたのです。その後1年の間に800の都市でデモを行い、200回を越える講演を開きました。彼の運動は戦いではありませんでした。それは自由と平等、そして愛を訴え続けた旅だったのです。

 1959年、マーチンはモンゴメリーからアトランタにもどると、数々の不平等な法律を改正させるための公民権運動の組織をつくりました。支持者の中には白人も少なくありませんでしたが、多くの抵抗勢力からの様々な嫌がらせもありました。警察から暴行を受け投獄されたり、家に爆弾を仕掛けられたこともありました。ナイフで胸を刺され、命を落としかけたこともありました。それでも「暴力には魂の力で応えるのだ」と訴え続けたのです

 「暴力で憎む人を殺すことはできても、憎しみを消すことはできない。暴力はさらなる憎しみを生み出すだけだ。暴力は暴力を生み、星を失った夜をさらに暗闇でつつみこむ。暗闇を暗闇で消すことはできない。暗闇を消すことができるのは光だけだ。憎しみを憎しみで消すことはできない。憎しみを消すことができるのは、愛だけだ」。

 1963年夏、マーチンは25万人の民衆と共に、リンカーン記念館の前に立っていました。そこに集まった人たちは、性別も、肌の色も、信仰も異なるアメリカ人でした。そこでマーチンはアメリカ政府の批判をしたあと、自らの夢について語りました。それはアメリカという国の理想、アメリカという国の信条、真の「自由と平等の国」が実現する日を夢見た演説でした。

 連邦議会で審議されていた「公民権法」は、このリンカーン記念館での演説の翌年1964年に成立しました。バスをはじめとした公共施設での差別が、これで撤廃されたのです。同年、マーチンは35歳という史上最年少でノーベル平和賞を授与されました。

 アメリカの人種差別は法的には完全になくなりました。しかし、目に見えないガラスの天井は今も存在しています。1968年4月4日、メンフィスのホテルでマーチンが暗殺される直前に残した彼のスピーチは、そんな現実を知っていた証でしょう。

 「私は神によって山頂に立ち、「約束の地」を見ることを許された。しかし私はそこに行くことはできない。それでもあなた方はいつか必ず「約束の地」にたどり着くことができるだろう」。


「I have a dream」

 アメリカでは小学校でキング牧師を習いますが、日本ではあまりなじみはないかもしれません。それでもリンカーン記念館前での演説をご存じの方は少なくないのではないでしょうか?

 15分ほど続いたこの演説はまず、アメリカ政府に対する厳しい批判からはじまりました。そして後半、キング牧師は "I have a dream that one day..." を繰り返しながら、アメリカという国のあり方について、自らの夢を語ります。それまで淡々と話していた声は高揚し、南部訛のスピーチは黒人独自のリズムで歌い始めます。はたしてあの言葉は、いったいどこから沸いてきたのでしょうか?

 「私たちの前にはいまだ多くの困難が立ちはだかっています。それでも私はまだ夢見ています。それはアメリカの理想に深く根ざした夢です。いつの日にかこの国が立ち上がり「すべての人間は平等だ」という信条を実現する夢です。・・・私の4人の子供たちが、皮膚の色ではなく、人間性で判断される日が来ることを夢見ているのです」(一部要約)。

 2005年の現在、アメリカから差別や暴力、恐怖や貧困は完全に消えたでしょうか?「約束の地」は、この大陸に姿を現したでしょうか? 差別や暴力の時は終わりました。恐怖や貧困は消え去ったのです。あとは一人ひとりが、そのことに気づきさえすればいいのです。


★ Website

Martin Luther King, Jr.: "I Have a Dream"」 

 リンカーン記念館での演説の全文と、オーディオ・ファイルがあります。

バックナンバー

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 「
どうしてこんなにアメリカが好きなのだろう?

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筆者プロフィール  |  Contact:manjiro@usmanjiro.com
  

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